高雄の都市としての現代化の歩みは、寿山のふもとに広がるこの海埔新生地から始まりました。日本統治時代、海の泥を埋め立てて土地を造成し、商業港と漁業港を結ぶ鉄道を敷設しました。この鉄道路線は「濱線」(はません、Hamasen)と呼ばれ、地元の人々は台湾語で「哈瑪星」(Há-má-seng)と呼んでいました。地元の各種産業とこの鉄道は切っても切り離せない関係となり、政府機関、大手商社、金融機関などが人々と共に進出し、哈瑪星周辺は百年前の高雄の繁栄を象徴する地域となりました。1921年には三和銀行が時代の流れに乗ってここに高雄支店を設立しました。
百年以上の時を経て、この建物は「新濱・駅前」として華麗に生まれ変わりました。「新濱」は日本統治時代の地名である新濱町から名付けられ、「駅前」は旧打狗駅の駅前を意味しています。地元の歴史的な名称を結びつけ、この建物が再びその輝きを取り戻しました。